「自分の言葉で心から伝える」杜氏になると決めた“あのとき” | 家飲みデリバリー

「自分の言葉で心から伝える」杜氏になると決めた“あのとき”

蔵元からの便り
「自分の言葉で心から伝える」杜氏になると決めた“あのとき”
浅野 理可

一宮酒造杜氏

浅野 理可

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優しかった杜氏さんの思い出

私は蔵元三姉妹の次女として、島根県大田市に産まれました。小学生の頃から、瓶詰め作業やラベル貼りを手伝うこともあり、酒蔵はとても身近な存在。とはいえ冬になると遠くからおじさんたちがやってきて、「蔵にこもってお酒を造っているんだ」というざっくりとした認識しかなかったのですが、それでもお正月になると杜氏さんの元へ挨拶に行き、お年玉をもらったり顔を合わせばいつも笑顔でおしゃべりをしたりと、小さかった私たち三姉妹をとても可愛がっていただいたことを今でも覚えています。

跡を継ぐことを決意し、東京農業大学へ

両親からは三姉妹の誰かに跡を継いでほしいといわれたことは一度もなく、姉も妹も自分の目指す道へまっすぐ進んでいた中で、私はといえば特別したいこともなく、将来のこともあまり深く考えていませんでした。そんな中地元の高校へ進学していた私は、進路を決めるにあたりふと、「うちの酒蔵はどうなるんだろう? 自分たちが継がなかったらどうなる? ここまで4代にわたって伝統を受け継いできたのに、ここで終わってしまうのだろうか?」と考えました。男兄弟はいませんでしたが、男も女も関係ない、自分が何とかしなければ。と使命感に駆られたことを覚えています。

両親に「私が跡を継ぐよ!」と話したとき、二人ともうれしそうな表情をした気がします。どの大学で学ぶべきか色々と調べ、東京農業大学へ進学することを決意しました。東京農業大学の醸造科学科には全国から酒蔵、醤油蔵などの醸造関係の跡継ぎが多く進学するということを聞き、「ここに行けばきっと多くの仲間に出会える」ととてもワクワクした気持ちでした。正直なところ、私は島根県が、大田市が大好きで地元を離れたくなかったのですが、酒蔵の未来のためにもたくさんの方と出会い、繋がることが必要ではないかと思い、上京しました。

アルバイト先でお客様からの質問がきっかけで杜氏の道へ

東京での4年間の大学生活は、とにかく楽しく、毎日たくさん遊び、お酒を飲み、アルバイトをし、勉強も適度にして、とても充実した日々でした。

そんななか、浜松町で全国の地酒を楽しむことができる立ち飲みの酒屋さんでアルバイトをしていました。飲んで気に入ったお酒はその場で購入が可能で、うちのお酒も置かせていただき、酒蔵の娘ということで沢山お話もしました。

ある日お客様から「このお酒あなたの実家のお酒でしょ? このお酒はどんな思いで造っているの?」と聞かれました。お米の種類や精米歩合、酵母など決まったことは何でも答えることができましたが、実際に自分でお酒を造っていないので、「作り手の思い」を答えることができませんでした。とても悔しかったです。その悔しさを、酒屋の女将さんに相談したら、「今は女性の酒造家の方も増えているよ。女性の杜氏さんもいるし、自分で造ってみたらいいじゃない!」そう言われました。その時まで、自分が杜氏になることなんて一ミリも考えていなかった私はとても驚きましたが、「そうか、それなら自分で造ればいいのか。自分で造れば、どんな思いでお酒を醸しているのか自分の言葉で心から伝えることができる!」と思い、酒造りの道へ進むことを決意しました。元々目指していたわけでも、熟考して決めたわけでもなく、本当にその場で道が開けたといいますか、ピカっと何か光ったようなそんな気持ちでした。それからは、お酒の酵母や製造に関して学ぶことができる研究室で学び、大学生活を終えました。大学卒業と同時に実家の蔵へUターン。私が入社した当時は兵庫県の但馬杜氏に来ていただいておりましたので、その杜氏のもとで3年間酒造りの現場を学びました。

夫婦二人三脚の酒造り

日本酒好きの主人と結婚し、4年目からは周りの方々のお力もお借りしながら、夫婦二人三脚でここまで酒造りをしてきました。真面目で目標をしっかりもっていて、「より美味しいお酒を造りたい」と高みを目指す主人と、良い意味で、適当な私と、冬の酒造りの間は、ときには喧嘩もしますが毎日麹菌達と向き合い、一人でも多くの方が私たちの醸したお酒を飲んで笑顔になってくれれば、という思いで真心こめて醸しています。

自身の名前「理可」がお酒になった!

杜氏としてやっていくことになり、まず自分がやりたいと思ったことは、自分の好きなお米や酵母を使ってみるということでした。「石見銀山シリーズ」は、これまでの伝統を守りつつお米や酵母などを大きく変える事無く造り続けてきましたので、新しいことにチャレンジするとしたら新しい銘柄にしよう! と思い皆様に覚えていただける良い名前を考えておりおました。そんな時、ある酒屋さんの社長様にご挨拶をさせていただいた際、私の名刺の名前を見て「理可」という漢字はとても変わっているからこのまま使ってはどうか? と助言を頂きました。個人的には恥ずかしい思いが圧倒的に強かったですが、無名の自分をまず知っていただく良い機会になると信じ決意しました。今はまだ2種類ですが、少しずつ形にしていきたいと思っています。まだまだ私たちの挑戦は始まったばかりです。ここまでやってこられたことに感謝しつつ、「さらに美味しいお酒を造る」という高みを目指してこれからも情熱を傾注していきたいと思っています。皆様、よろしくお願いいたします!

一宮酒造有限会社

世界遺産「石見銀山」を有する大田市で酒造りを始めて120年。地元産の酒米や原料にこだわり、仕込水には三瓶山の麓から湧き出る伏流水を使用。伝統的な日本酒はもちろん、スパークリング清酒や薔薇のリキュールなど新商品の開発にも力をいれている。

https://test.ienomi.tokyo/column/chiefsakebrewer-rika/

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浅野 理可

一宮酒造杜氏

浅野 理可

1990年生まれ。東京農業大学卒業後、実家である一宮酒造に入社。一宮酒造は銘酒「石見銀山」を醸造している酒蔵。自身の好物の飯米・つや姫を使った「理可」シリーズも好評。... もっとみる